2018.10.23
【研究報告】「アートはまちをすくわない?」座談会―10年後のアートを見つめて(1)
国際芸術交流展&シンポジウム「アートはまちをすくわない?」から一年後の座談会
2016年11月3日、「アートはまちをすくわない?」と題する国際芸術交流展とシンポジウムを、富山県高岡市の重要文化財武田家住宅で開催しました[註1]【1】。芸術祭やアートプロジェクトが日本でも盛んに開催される今日、アートがまちや地域と関わることの意味を、今一度考えることを目的としました。
シンポジウムからおよそ一年後の2017年12月16日、重要文化財武田家住宅に再び同じメンバーで集まり、座談会を開催しました。「まちとは?」「すくうとは?」「アートとは?」という、より根本的な問いへと立ち返りながら、この問いかけのもつ意味について掘り下げ、議論しました。 大変お待たせ致しましたが、座談会の記録を3回に分けて掲載いたします。多くの方にお読みいただければ幸いです。
[日時・場所]
2017年12月16日(土)
14:00-16:15 重要文化財武田家住宅(富山県高岡市太田)
17:00-18:45 富山大学芸術文化学部H290教室(高岡キャンパス)
[座談会メンバー(敬称略)]
高橋裕行:「のと里山空港アートナイト2016」キュレーター
吉田有里:アートコーディネーター、Minatomachi Art Table, Nagoya/港まちづくり協議会
西島治樹:美術家、富山大学芸術文化学部准教授
松田 愛:近現代美術史・アートマネジメント、富山大学芸術文化学部講師
「アートはまちをすくわない?」座談会―10年後のアートを見つめて
(1) 1-1. シンポジウムから座談会へ
1-2. アートとの出会い
1-3. アートプロジェクトの継続性
(2) 2-1. 「アートはまちをすくわない?」再考
2-2. 地方とアートと経済
(3) 3-1. 10年後のアート
1-1. シンポジウムから座談会へ
座談会では、まず昨年のシンポジウムの各パネリストの講演記録から抜粋した「アートはまちをすくわない?」との問いかけに対する手がかりやキーワードを確認した。本展の作家でもあったパトリック・ハブル氏は、「芸術、またはアートというのは私たちが暮らしているこのまち、または地域のためになるものか」という問いを投げかけ、美術館やギャラリーとは異なる公共空間の中での、自らのアートの実践について語った【2】。
続いて、同じく作家として参加し、武田家住宅の3つの部屋を経由し、それらの空間を体験しながら、プロセスを経て成立する作品を制作した西島治樹氏は、次のように語った。「自身はアートでまちを活性化させようとは思って」いないが、「作品を制作する上で、さまざまな人々と対話し、場所に絡むことによって、結果として、まち自体と関わることになる」。
高橋裕行氏には、ご自身が企画された「のと里山空港アートナイト2016」を中心に、地域でのイベントについてお話いただいた[註2]【3】。のと里山空港アートナイトは、2016年10月、空港の滑走路というセキュリティ的にも厳しい場所で実現したアートイベントであり、テクノロジーを駆使した最先端の表現を試みるライゾマティクスリサーチが、ドローンを用いて空港プロモーションビデオを制作し、公開撮影という形で、一般の人々がその現場に立ち会った。講演の中で語られた、「アーティストにとって、作品を誰に、どこで、どのように見てもらうかということは大変重要で、そのスタンス自体が作家性であり、作品性である」との高橋氏の言葉は、今回の座談会にも通底する重要な言葉となった。
最後の講演では、吉田有里氏が、名古屋の港まちで作家やアートマネージャー達とともに立ち上げたプログラム、MAT, Nagoya(Minatomachi Art Table, Nagoya)の活動を紹介した[註3]【4】。MAT, Nagoyaは「アートそのものは、まちを変えるためには存在していません」と宣言しています。なぜなら、「まちのためにアートをやってしまうとアートそのものの存在が揺らいでしまう」(吉田)と考えるからです。MAT, Nagoyaは、アートがまちにあるということ、アーティストがまちを訪れること、そして作品そのものを通じて、「アートの本質である、価値観の違いや他者を受け入れていくという意識がまちに根付いていくことで、まちが良くなるだろうという希望」のもと、恒常的で継続的な取り組みを街中で展開している。
以上のように、2016年のシンポジウムを振り返る時、アートとまち、アートと人が関わる地道で継続的なプロセスと、それを支える長期的ヴィジョンが大切であることが見えてくる。そこで、本座談会では、一年前のテーマを掘り下げるとともに、未来に向けた「10年後のアート」というテーマを設定した。
1-2. アートとの出会い
続いて、それぞれの現在の仕事とも関連する、アートと出会ったきっかけについて話を聴いた。
東京の両国に生まれ育った吉田有里氏は、東京都現代美術館で現代美術に初めて触れ、「わからないことの肯定というか、さまざまな表現から、自分がもっと知りたいとか、もっと見たいと思うような体験をした」。その後、学生時代に関わった街中でのアートイベントで、アートコーディネーターやキュレーターなど、実際に現場で働く人々と出会ったことが、その後のアートコーディネーターの仕事へとつながった。
高橋裕行氏がアートと本格的に出会ったのは、高校生の頃に訪れた、池袋のセゾン美術館である。大学では、メディアアーティストであり教授でもあった藤幡正樹氏のゼミに入り、メディアアートを学んだ。「メディアアートは社会との接点もあり、テクノロジーとの接点もあって、なおかつ創造性に関わるというところがおもしろい」と感じ、メディアアートを専門的に学べる岐阜のIAMAS(岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー[現在、情報科学芸術大学院大学])へ進学し、メディアアートの展覧会などを企画した。卒業後は、東京藝術大学で助手を勤め、取手アートプロジェクトの運営に関わり、海外の美術館で作家の滞在制作を手伝うなど、現代美術の現場づくりに携わることになった。
西島治樹氏のアートとの出会いは、小学生の頃に絵画教室に通い始めたところからスタートした。芸大に進学し、大学3年生の頃にPower Macが登場する。「感覚的なものではなく、全部数値化されたり、間違ったら出てこない、そういう装置でつくった方が、客観的なおもしろさがあるのではないか」と考え、コンピュータでの制作を始めることとなり、卒業後は高橋と同じIAMASへ進学した。在学中から、映像・映画やパチンコ、電波など、様々な社会問題を提起する作品を制作している。
松田もまた、高校生の時に訪れた豊田市美術館で現代美術と出会ったことが大きく影響し、大学では美術史を学んだ。大学院生時代に大学内に設立されたプロジェクトギャラリーの運営に携わり、地域の作家達と仕事をするようになったことが、現代美術の研究やマネジメントの道へ進むきっかけとなった。美術館や絵画教室、街中でのアートイベントや教育の現場など、アートとの出会い方は様々であるが、つくり手ではない吉田氏や高橋氏、松田に共通していた事は、在学中から実際に制作の現場に立ち会った経験が、その後の仕事へと大きく影響していることである。
1-3. アートプロジェクトの継続性
アートとの出会いを考える上で、育った地域やまちの環境、あるいは時代の違いは大きく関係してくるが、その中でも美術館の存在は大きいと言える。次の文章で、高橋氏が、ビエンナーレやトリエンナーレなどの芸術祭、ワークショップも様々あり、「僕らが生まれた頃とは結構状況が違います」と語るように、今日、アートとの出会いの機会は多彩なものとなってきている。また、そのようなアートとの出会いがもたらす影響は、長期的な時間軸の中で見えてくるものである。
継続性は1つの評価軸
西島:吉田さんも高橋さんも、(生まれ育ったのは)東京じゃないですか。僕は地方ですが、アートとの接点を考えるときに、都市と地方では何が違ってくるんでしょうね。高橋さんの話ではセゾン美術館が出てきますが、僕は全然出てこなくて。今思い返しても、広告の裏に絵を描くなど、そういうことしか子供の頃はなかったと思います。
高橋:多分、今生まれた子供だったら、地域アート的な、ビエンナーレやトリエンナーレに触れる機会は非常に高いし、地方にいたとしても、美術館も各県にあるし、僕らが生まれた頃とは結構状況が違いますよね。ワークショップなども色々あるだろうし。
西島:関わり方が多様化しているから、地方にいても、地方感は昔ほどじゃないですよね。
松田:そうですよね。でもそういうことで、地域感の格差はあったりするんでしょうか。
高橋:あると思いますよ。極端な話、ニューヨークに生まれるのと、わからないけれど、貧しい国に生まれるのとは、全然違ったりするじゃないですか。アートへのアクセシビリティというのは。
僕らの頃は、バブルでたくさん美術館ができたんですよね。それは大きいと思いますよ。それ以前の方と。それ以前は、ギャラリーだったはずなんですよね。美術館じゃなくて。詳しい人たちが回るのは、画廊だったはずで、草月会館などはあったと思いますけれど、状況が結構違ったんじゃないかという気がします。
西島:地方にはギャラリーが少ないので、主体となるのは美術館ですよね。幼稚園か小学校の時に、最初に見たのは、浜松市立美術館のルオー展でした。東京はギャラリーも多く、自然と作品が目に入るので、アートとの出会いの機会は結構あるんじゃないかと思います。
吉田:そういう意味では、子供が美術を見て、その後、美術作家になろうと思ったり、何かしらの影響を受けて大人になってから、何かに関わったり、それが見えてくるのは20年くらい経ってからですよね。そういう事は、やはり来場者数で測れない評価軸というか、長期的な視点でしか見えてこない。美術館だけじゃなくて、地域で行われるアートのプロジェクトも、どのように評価できるのか、影響がどのようにあるのか、長期的に調査できる人がいるといいですけれど。すごく短いスパンで終わってしまったり、どのくらい後に続いていくのかが見えていないので。そういう意味で、継続性は1つの評価軸になりますね。
松田:そうですね。そのような長期的視点でしか見えてこないことを、どのように評価するかが重要ですよね。
環境を整えること
西島:吉田さんが携わっているイベントというのは、単年度のものが多いですか? それとも継続的なものですか?
吉田:BankART[註4]は2004年から始まっていたので、今13年目で、NYKという場所が今年なくなってしまうんですけれど、今後も横浜の地で活動は続くという宣言をしています。
あいちトリエンナーレは3年に1度です。今携わっているMAT, Nagoyaのプロジェクトは、まちづくりと並走しているので、継続的に行われています。スペースを持っているので、そこで行われている展覧会やイベントをしています。あとアッセンブリッジ・ナゴヤという、街の中を会場にしたフェスティバルを、年に1回開催しています。このように、単年度で終わるものと継続するものとを並行して進めています。
西島:単年度と複数年度のプロジェクトの進め方の違いとして、何が根幹にあるんでしょう。ファウンデーションでしょうか?
吉田:アッセンブリッジ・ナゴヤは2016年から始まって、5年間かけて実施するというプロジェクトです[註5]【5】。オリンピックの前に、文化庁が地方自治体に文化の助成金を出していて、その一部を補助金と名古屋市の予算を合わせて予算を組んでいます。継続性をもって活動することが条件なので、2020年に向けてプロジェクトを実施することが1つの目標です。フェスティバルは、県外の来場者も想定しながら、MAT, Nagoyaでの継続的な活動は、愛知の特色を活かしたり、愛知以外からの作家に滞在してもらったりして展覧会やイベントをしています【6】。愛知は3つの美大があるので、アーティストの卵のような、制作している人も多く、そのコミュニティの中に新しい人が混ざって、お互い影響を受け合うということや、環境を整えるということ、そのような活動を継続してできたらいいと思っています。あとは街の人たちも見に来られるような場所として、なるべく入口を広くしてやっています。
西島:吉田さんの関わっているイベントは、結構規模の大きいイベントが多くて、継続を前提としているということですけれど、高橋さんも、継続性という観点でイベントやプロジェクトを行なったりすることはありますか?
高橋:今携わっているものでいうと、「cocoiku」[註6]は民間企業なので、体力がもつ限り、儲かっている限りは続くと思うんですね。自分でやっているWSシリーズなどは、ネタが尽きない限りは続けていくと思いますね。片方で、のと里山空港アートナイトは単発のものとして実施しました。
西島:松田さんは、この「アートはまちをすくわない?」は、継続的なイベントとして考えているんでしょうか?
松田:継続性ですか? 実際にイベントをするかどうか、再びこの規模で行うかどうかはちょっとまだ考えていないですけれど、でも、ずっと考えていきたいテーマではあります。
高橋:地域とイベントということでいうと、何か地域に新しい施設ができるとか、それこそ美術館ができるとか、新しい商業施設ができるとか、何かそういうときに、イベントの予算がつきやすいというか、アートで派手なことがやりやすいかなと思います。開館当初とか。だんだんそれが減っていく、継続しづらくなっていく、運営につく予算と開館につく予算はだいたい違うことが多いので、最初にやれた規模ではできなくなるよね、というのは何回か見ています。いつもそれで思うのは、最初にやる時ってすごく派手なことができるんだけれど、できるがゆえにやったほうがいいのか、それとも最初からやっぱりもうちょっと継続性を考えた、一発限りでは終わらないことを最初から仕込んでおくべきなのか、というのを自分がそういう現場に立ったわけじゃないけれど、端から見ていて、これはどうだったんだろうな、後に何が残ったんだろうなと色々思ったりしますね。例えば、海外から人を呼んだりというのは、最初はやりやすいじゃないですか。でもだんだん、予算がなくなるとやりづらくなっていくじゃないですか。
松田:今はオリンピックが目の前にあり、それに向けて予算がついていたとしても、オリンピックが終わったら、やはり予算も縮小してしまうんでしょうか。
高橋:オリンピックなんか、一番わかりやすい例かもしれないですけれどね。吉田:行政や企業も組織のシステムとして年度ごとで一区切りというのがありますよね。アートに限らず、どの分野でもそうだと思いますけれど、予算を繰り越せずに使い切らないといけない。予算を繰越せたら、分配して最初の年を派手にしないで、5年間かけてこの予算で、ドクメンタのように積立して、5年に一度行うとか、そういうことができるのかもしれないですけれど。なかなか、予算の執行で繰越システムがないので、単年ごとのプログラムになりやすいという事が、意思とは関係なく、システムとしてはありますよね。大学も同じだと思いますが。
松田:はい、同じですね。
吉田:どうしようもならないですけれど。それをちょっと何か改善できたらいいですよね。文化事業もできることも・・・。
西島:そうですよね。結局は見えないラインがあって、3月31日までの領収書で処理しなくてはいけない。
吉田:報告書をつくるのも、年度で区切りがあったりするので難しいなと。継続していれば、次の年の予算でやることの想定がつけられるじゃないですか。美術館などはもう少し長期的に、3年間かけて展覧会をつくるとかできるけれども。数年のヴィジョンで、計画が立てられるようになっていけば、もう少しできることもあるのかなと思っています。そういう意味でいうと、社会や地域は全然タイムラインが違うので、3月で切りますということもなく、もう少し長い付き合いができていく。そうすれば、地域アートでよく言われる事故のような、地域の人達と関係性がつくれなかったなど、やりっぱなしでどこかへ行っちゃったというようなことがなくなるのかなとは思ったりします。
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[註1]国際芸術交流展&シンポジウム「アートはまちをすくわない?」は、2016年に文部科学省科学技術人材育成費補助事業「ダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ(特色型)」の助成を受け、高岡市、高岡市教育委員会の後援のもとに実現した(会場:重要文化財武田家住宅、会期:2016年11月3日〜7日)。まちの文化財を舞台に、チェコの画家パトリック・ハブル氏と、美術家で芸術文化学部准教授の西島治樹氏による展覧会を開催。あわせて、作家(つくり手)とキュレーター/アートコーディネーター(つなぎ手)による「アートとまちの関係」をめぐるシンポジウムを開催した。本プロジェクトの詳細については、2018年3月発行の記録カタログ『アートはまちをすくわない?』(国立大学法人富山大学芸術文化学部、2018年)に詳述した。
[註2]「のと里山空港アートナイト 2016 Rhizomatiks Research×FaltyDL 空港プロモーションビデオ公開収録イベント」は、「夜空へ導く Art & Entertainment の祝祭」のテーマのもと、2016 年 10 月 9 日(日)18 時より、のと里山空港(石川県輪島市)を舞台に開催された。主催はのと里山空港賑わい創出実行委員会。
[註3]MAT, Nagoya(Minatomachi Art Table, Nagoya)は、名古屋の港まちで、2015年から始まったアートのプログラムであり、吉田氏を含むメンバーが中心となり、展覧会やスクール、ワークショップなど、様々な企画を行なっている。吉田有里著「名古屋の港まちをフィールドにしたアートプログラム『MAT, Nagoya』」アートスケープ「キュレーターズノート」に、その活動の詳細を見ることができる(http://artscape.jp/report/curator/10140354_1634.html)。また、MAT, Nagoya の公式サイト(http://www.mat-nagoya.jp)、港まちづくり協議会の公式サイト(http://www.minnatomachi.jp)を参照のこと。
[註4]BankART1929は、横浜市で、旧第一銀行、旧富士銀行の2つの歴史的建築物を活用して2004年3月にオープンしたアートスペース。その後、BankART Studio NYKが、2006年に日本郵船の元倉庫をリノベーションしてオープンし、主な活動拠点となる。2008年に横浜トリエンナーレの会場となった際に全面改修され、市民に開かれた展覧会やコンサート、レクチャーなど、様々な活動を行なってきた。会場の契約更新に伴い、2018年3月に一旦活動を終了するものの、4月には、拠点を横浜市関内のオフィスへ移し、再スタートした。活動の詳細については、BankART1929公式サイトを参照のこと。http://www.bankart1929.com
[註5]アッセンブリッジ・ナゴヤは、2016年にスタートした、名古屋の港まちを舞台にした音楽と現代美術のフェスティバルである。「[アッセンブリッジ assembridge]とは、『集める』『組み立てる』などの意味をもつ [アッセンブル assemble]と、[ブリッジ bridge]を組み合わせた造語」。「音楽やアートが架け橋となり、まちと人が出会い、つながりが生まれ、新たな文化が育まれていくこと」を目指し、まちそのものを会場として展開される。公式サイトより。10月6日から12月2日まで、3回目にあたるアッセンブリッジ・ナゴヤ2018が開催されている(http://assembridge.nagoya 2018年10月6日閲覧)。
[註6]「cocoiku by ISETAN ‒遊びと学びの百貨店‒」は、伊勢丹新宿店が提案する0~12歳の子供を対象とした、「体験のデパートメントストア」であり、高橋はそこでのワークショップなどを企画監修している。子供達が、「自ら学ぶ環境を、自らつくりだすこと」を目指し、「これからどんなに世の中が変化しても、人々の価値観が変わっても、そのなかをしなやかに力強く歩き、自分の手で未来を創りだせる人であるための準備・練習ができる環境を整え、お子さまとそのご家族を全力でサポート」することをステートメントとして掲げる。公式サイトより(http://www.cocoiku-isetan.com 2018年6月3日閲覧)。
[関連リンク]
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