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2018.10.23

【研究報告】「アートはまちをすくわない?」座談会―10年後のアートを見つめて(2)

パトリック・ハブル《ブルー・マウンテンズ》2016年、アクリル・紙、200×135cm 2016年の国際芸術交流展&シンポジウム「アートはまちをすくわない?」重要文化財武田家住宅(富山県高岡市) 撮影:怡土鉄夫

「アートはまちをすくわない?」座談会―10年後のアートを見つめて(2)
 
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[日時・場所]
2017年12月16日(土)
14:00-16:15 重要文化財武田家住宅(富山県高岡市太田)
17:00-18:45 富山大学芸術文化学部H290教室(高岡キャンパス) 

[座談会メンバー(敬称略)]
高橋裕行:「のと里山空港アートナイト2016」キュレーター
吉田有里:アートコーディネーター、Minatomachi Art Table, Nagoya/港まちづくり協議会
西島治樹:美術家、富山大学芸術文化学部准教授
松田 愛:近現代美術史・アートマネジメント、富山大学芸術文化学部講師 

2-1. 「アートはまちをすくわない?」再考

座談会では、次に展覧会とシンポジウムのタイトル「アートはまちをすくわない?」について、なぜ「まち」なのか、「すくう」とはどのような意味なのかについて議論した【7, 8, 9】。「“アートはまち”をすくわない?」のように、このタイトルには、実は成長過程のぶりの呼び名「はまち」が掛けられており、はまちがぶりへと成長するように、今回の企画が継続して発展していくようにとの願いが込められている。

「はまち」から「ぶり」へ

吉田:大学でマネジメントを教えているという立場から、地域で実践することだけがアートの話ではないと思うので、今回、松田さんが、なぜ街とアートとの議論を仕掛けているのか、どのような問題提起があるのか、うかがえたらと思います。
松田:そうですね。アートマネジメントという言葉を聞くと、皆、何かイベントをするというイメージがあるみたいです。イベントをすることによって、地域の活性化、賑わいをつくってほしいという話はあります。でもその前に、なぜアートで地域を活性化するのかについて、考える必要があると授業でも話しています。私は、アートは必要だと思っていますが、結構そう考えていない人たちが多いと感じています。
吉田:何にとってアートは必要ですか?
松田:生きていく上で必要だと思っています。でも、そうではない、それほどアートに興味はないけれど、まちを元気にしたいからアートイベントをしたいという雰囲気がありますが、順番が違うのではないかなと思ったんです。
 なぜアートが必要なのか、アートが好きか嫌いかに関わらず、なぜ、アートで行うのかというところをしっかり考えて進めないと、ただアートを利用するだけのイベントになり、一過性の賑わいを生み出して終わりになってしまうという気がしています。それで、「まちをすくう」というとちょっと言葉が強いですけれど、街や地域を活性化するためにアートがあるわけではないというところに立ち戻りたいと思いました。
吉田:地域を活性化するなら、もしかしたらゆるキャラやお祭りでもよいかもしれないし、なぜアートなのかということですよね。
松田:そうですね。アートと街をテーマに掲げる上で、私はそのように考えてきましたが、西島先生はこのタイトルについて、どのように考えていましたか? 
西島:僕は、今回の企画には作家として参加しているので、キュレーションに関しては、オブザーバー的な位置付けにいると思っています。この「アートはまちをすくわない?」は、笑いにもなれば、批判を引き起こしもする、エッセンスの効いたタイトルだと思ってつくりました。「ふくらぎ」など、富山では「ぶり」という魚が成長する間に色々な呼び名があります。「はまち」というのは、その中間地点で、「『アートはまち』をすくわない?」という駄洒落としても読めるわけです。「アートぶり」のように、タイトル的には色々な楽しみ方ができて、企画を発展させるには、ちょうどよいと思いました。

【7, 8, 9】座談会の様子(重要文化財武田家住宅の茶の間)

アートは人をすくう?

高橋:「アートはまちをすくわない?」というのは、それぞれにおうかがいしてみたいことがあるんですが。ここでいうアートとは? 街とは? 気になるところではあるんですけれど。漠然と高岡市なんですかね、街というのは?
松田:高岡市も想定していましたけれど。でも、もう少し広い意味ですね。アートはまちづくりを目指しているわけではないと。
高橋:うん、街って村じゃなくて、地域でもなくて、都市でもなく街だって、選ばないと街にならないと思うんですけれど。都市を救わないでもないし、地域を救わないでもないし、街となっているところがなぜかなと。
松田:確かに。
西島:でもまあ、街の単位がわからなくて。
吉田:抽象的な概念としての街ですかね?
松田:そうですね。街の中には都市だけでなく、地域も入っています。
吉田:越後妻有とかは、街とはあまり思わないですけれど。
高橋:そうですよね。瀬戸内もあまり街という感じではないよね。
吉田:島ですね。
高橋:やはり市街地のようなものが想定されている気がしますけれどね。
松田:なるほど。あまり物理的なことを意識していませんでした。
高橋:いや、議論するときに、東京も街だよね、高岡市も街だよね、というのはあるけれど、同じ土壌では話せないじゃないですか。規模が違い過ぎてというところはあるから。もし議論するなら、どういうことなのかなと。本当に抽象的な、哲学的な概念としての街なんです、というならそれはそれでアリだと思うんですけれど。あと、「救う、救わない」? 何に困っているのか。というか、街では今どういう状態なんだという。救われるということは、困っているということですよね。どういう困り方をしている街なのかなと。単純に人口が減少という話なのか。過疎化とか、高齢化とか、そういう話なんですかね?
松田:はい。商店街に人が少ないなど。やはり人が少ない、空き家が多いという印象があります。大通り沿いなのに、空き家がものすごく目立っている。
高橋:そういう状況があったときに、でもアートでは救えない・・・いや、色々な議論の仕方があるんですけれども。まず救えるかどうか、可能かどうかというのと、すべきかどうかというのと、べき論というのは別だと思うんですけれど。まず、可能ですかね? 人口減少している街を救うことは可能ですかね?
松田:そうですね。その質問だと、どのような状態になったら救ったことになるのかという問題がありますね。
高橋:そうそう。
松田:このイベントが終わって思ったことは、街という単位で考えるのではなくて、もっと小さな単位、つまり「人」を対象にしかできないのではないかと思いました。
吉田:見る人ですか?
松田:見る人、もしくは、まだ見に来てくれていないけれど、アートに興味がある人だけではなく、興味のない人も。
高橋:潜在的に見てくれる人も。
松田:はい、アートと人が出会う機会をつくるのみで、それが結果として、救うか救わないかはわからないですけれども、でも、出会わないより私は出会ってほしいと思うんです。
高橋:人を救うことはある?
松田:人を救うことはできると思っています。
高橋:なるほど。じゃあ、結論としては、アートは街を救わないが、人を救うことはあるということですかね。いや、可能だと思いますよ。地域活性化が可能なんじゃないかと思われる、市役所の人達が思う理由としては、そういう例を見ているからですよね。中心市街地が活性化しましたという例を見て来ている。どこか別のところで。それでアートが使われているんですよ、というのを見ると、あー、うちでもやってみたいなと思ってみたりすると思うんです。可能かというと、可能なこともあるという気がしますね。そういう中心市街地の空洞化や高齢化、コミュニケーション不全など、そういうことを何かこう少し活性化するためにアートを使うということは、可能ではあると思いますけれどね。ただ、それをすべきかどうかというのは、また別の議論というか。できるからといって、やればいいのかというのは思いますね。やはりイベントの1個なので、やればそれなりに人が集まったりしますよね。もちろん、それが費用対効果的に、他のものと比べてどうかという議論はすればいいと思うんですけれども。そういう議論も可能だし。アートにはその力があるのだが、必要十分、十分ですよね。そのアートが、地域を救ったからといって、その作品が地域を救ったからといって、その作品がアートなのかどうかはわからないということもあると思います。そういう場合もあると思います。

コミュニティが生まれる

吉田:私はアートが街を救うなんていうことは言ってはいけないなと、個人的には思います。イベントを行った副産物として何かが解決したということはあると思うんですけれども、アート自体が何かを解決することはないと思うので。個人的な感情を揺さぶるものなので、人を救うということはあると思います。けれども、街という単位を救うかなんて、誰も言いきれないと思っています。作品自体が何か影響を与えるということはあるかもしれないですけれど、救えるということを言っている人が、もしいたとしたら、危ない発言だなと。アートは街を救えますと言っている人がいたら、それがどういう状態を言うのか詳しく質問したいなと思います。「救わない?」という質問系なので、議論をする場をつくればいいと思うんですけれど、アートが街を救えますという断言は、私自身は、実践をする立場としては、とても言えないです。地域の人に向けて言ってはいけない言葉かなと。
 実際に、例えば名古屋での1つの事例を話すと、港の街に一人アーティストがいて、アッセンブリッジ・ナゴヤのイベントをした後に、アッセンブリッジで使った会場を綺麗に整え、その後アーティストに貸し出しをしています。マッチングさせて、スタジオにして使っているのですが、それはフェスティバルと通常的な活動が並行しているからできていることで、よい関係性だと思います。 宮田明日鹿さんというニットを使ったアーティストがいて、彼女は家庭用編み機を改良して、パソコンからデータを読み込み、写真を編むという作品をつくっています。彼女の編んだ、完成した作品が何か街を変えているかというと、変えていないと思うんですね。それで救われた人というか、街がそれで救われた訳ではないと思っています。
 ただ、彼女の存在が、ニットという手法によっているので、色々なフックが生まれ、地域のおばさまとか、おばあちゃんが集まってきて、「私もこの機械使っていたわ」「編み物得意だわ」というように、彼女は30代の女性なんですけれど、90代のおばあちゃんとか、編み物好きな人達が、どんどん彼女の周りへ集まってきて、皆から編み方を教わったりして、新しく手芸部というのを作ったんです。その人達も参加して毎週編み物クラブを行っています。そういう意味では、新しいコミュニティを、いつもまちづくりには関わらない80代、90代のおばあちゃん達と、あと子育て世代のママたちが合わさって編み物をする場を作っています。つまり、彼女の作品が何かを変えたわけではないけれど、彼女の存在が新しいコミュニティを作ったという意味では、何か影響はあったのかなと思っていて、1つの成果かなと言えると思います。 アーティストが何かやってきたことで影響があるということはあると思いますし、アートそのもので風景が変わるということもあると思います。パブリックアートが置かれて風景が変わるというように。とはいえ、アートがそれ自体で、何か救えるかどうかというのは、断言できないものだなと、個人的な意見としては思います。だからといって何も意味がありませんという意味ではないですけれど。アートが救っていますという発言はあまり・・・。アートに対しても、まちに対しても誤解されないように丁寧に言葉を使った方がよいと思います。街に対してできることと考えた時に、その街ということも抽象的ですし、救うという状態もどういうものかということがあるので。人が救えるというのは、確かに1つの効果かもしれないです。一時的に人が来たり、移住したりする人がいるということもあると思います。ただ、もともとあった問題にとって解決しているかどうかは、ちょっとわからないと思います。アートが何か問題解決するものではないと。何かしら効果は生まれたり、ストーリーが生まれたりすることはあると思いますけれど。
高橋:クリエイティブ・シティなど、そう言っている人はいるわけじゃないですか、片方に。その人達はこの中にはいないわけですけれど。みんなアート寄りの人達だから。
吉田:文化戦略の1つとしてクリエイティビティを受け入れて、都市戦略するというのは1つの考えとしては、もちろんありますよね。でもそれは、救う、救わないという話ではなく、施策の一つとして、街の特徴としてのクリエイティブなものを受け入れる都市として効果があると思います。
高橋:メディアアートだと、リンツなどはそういう文脈で取り上げられる街だと思うんですけれどね[註7]。昔の鉄鋼の街だっけ? そういう産業は衰退してしまったわけだけれど、新しい新産業を誘致して、成功した例として上がってきたりするわけですよね。そういう例はなきにしもあらずですけれどね。あとは都市の例になってしまうんですけれど、ニューヨーク・モデルというんですかね。アーティストが住むことによって、そこの街が廃墟だったところが、割と人が住むようになって、ジェントリフィケーションが起こって、高い値段になって、そうするとアーティストたちはスプロール・アウトして、外に行って、また新しいところを活性化して、というのが、街全体をどんどん活性化していく流れがあるよ、みたいなことを言う人はいると思いますね。それはある種、救っているという言い方かもしれません。
吉田:そうですね。でも、アーティストたちは、まちを救いたくて作品を制作、発表しているわけではないですよね。
高橋:アーティストはやっていないですよね。それは全く別の理論なんだよね。作家としてでしょう? だから、キュレーターというのは難しいんです。両方のことを考えるから。作家は、自分の作品の必然性から外に出るわけじゃないですか。必然性がある人は出るし、それが必要ない人は出ませんということになる。ですがキュレーターは、その、街を救ってほしいという人からも声が来るわけじゃないですか。その間で、どう調停するかということが、やはり問題になってくると思うんですけれど。 

ナラティブ=物語をすくう 

松田:ではやはり、その時に明確なヴィジョン、どうなったら救う状態になるかという目標のようなものは立てますか?
高橋:例えば来場者数が何人来てというように、大きなプロジェクトになれば必要だと思いますよ、そういうものは。ただ、もっと何か、もっとナラティブが生まれるはずだと思いますけれどね、アートは。
松田:ナラティブというと、物語ですか?
高橋:そう、物語が1個1個にあるはずで、それを救っていけないとつまらないよね、とは思います。
松田:その物語を評価する方法があればと思います。
高橋:文化だから。それは土壌みたいなものなので。例えば金沢などは、あると思うんですけれどね、文化的土壌。それって何百年もかけて培ってきたもので、何に蓄積されているかというと、人と人の会話とか、そういうところに蓄積されていくものなんじゃないかな。場所とか、場所のなんとなくの佇まいとか。だから、すぐに数字で、例えばコピーして金沢みたいな街はできないわけじゃないですか。それは、人工発生は難しいですよね。自然発生的なものだから。そういうところにだんだん積み重なっていくんじゃないですかね。さきほど、美術館ができて10年後や20年後のことが評価されることについて話しましたけれども、やはり数字には出てこないでしょうね。けれども、やはり街の文化はそういうところに支えられていくんじゃないかなという気がしますよね。
松田:リンツの例と似ていると思いますが、ドイツのミュンスター彫刻プロジェクトも、やはり自然が美しく、歴史的な背景があり、大学都市という特徴もありますが、街の人たちが、アートがあることを自然なものとして受け止めているように感じました[註8]【10, 11】。街で作品を探して迷っていると、「あっちにあるよ」と気軽に教えてくれたり。10年単位で、長いスパンを見据えて続けてきている。その中で街の人たちとアートとの関係性が少しずつ形成されてきているのかなと感じますね。
高橋:この間、京都芸術センターへ行った時にそういうことを感じました。地元の人が案内してくれるんですけれど、すごく難解な現代美術の作品なんですよ。すぐには意味がすっと入ってこないというような種類の作品を、笑いながら解説してくれて、結構距離が近いなあと思ったんですよね。作品と。
松田:なるほど。そういう作品と地元の人との距離の近さは、大地の芸術祭でも感じますね。
高橋:東京で中々ああならないんじゃないかな。ボランティアさんがあそこまで距離が近いというのはおもしろいなと思いました。
西島:でも、地元の人は結構作品を育てるというか、地元の人たちの間で解説が育っていくという事を、たまに感じますよね。だから、おもしろいですよね。
吉田:ミュンスターも1回目は散々言われたと記録に残っていますよね。確か、カスパー・ケーニヒさんが最初に始めた理由が、抽象彫刻を購入したことに市民が反対して、そこから始まった。だから1回目、2回目ぐらいはまだ何か、アートってなんなんだというような感じで、最初は反対住民も多かったと。でももう4回、5回と、40年やっているわけで、やはり時間の中で、関係性が育っていくという事は多くあると思います。
西島:何が人々をポジティブな方向に向かわせたんでしょうね。
吉田:やはり来場者数、その時期にたくさん人が来るということを皆が体験しているということと、人だけじゃなくて、そういう事が市民の誇りになっていくんじゃないですか? 作品がある街に、わざわざ遠くから人が来てくれる。実際にレストランが流行ったり、ホテルがいっぱいになったりするということとは別に、自分の街にわざわざ色々な国から人が来て、道に迷っていると助けたくなるというのは、どの地域でもあるのかもしれないですよね。
西島:成功事例って大体そうですよね。地元の人が気付かないことを、外から訪れた人が知らせてくれて、その価値に気が付くという事の連続ですよね。それが地元の経済の活性化に結びついたら、なお良しとなるわけで、やはり経済ですかね。けれど経済抜きでは考えられないですよね。
吉田:経済が一部続いていないと続けられないという面はあると思います。でもその、測れない部分ということが、予想したことだけでは起こってこないもの、そういうものが起きてくるというのは、多分アートにはあって、それはゆるキャラショーだけでは生まれないことなのではないかなと思いたいです。 

【10】Donald Judd (1928-1994), Ohne Titel [Untitled], 1977, Beton, äußere Ring 90 x 60 cm, Ø 1500 cm, innerer Ring 90-210 cm, Ø 1350 cm
Standort: Aasee unterhalb des Mühlenhofs
Skulptur Projekte in Münster 1977
Photo: Hubertus Huvermann
ドナルド・ジャッド《無題》1977、ミュンスター彫刻プロジェクト1977に際し、湖のそばに設置されたパーマネント・コレクション作品。

【11】Emeka Ogboh, Passage through Moondog / Quiet Storm, Skulptur Projekte 2017
© LWL-MKuK/Skulptur Projekte Archiv, Photo: Henning Rogge
エメカ・オグボウ《Passage through Moondog / Quiet Storm》2017、ミュンスター彫刻プロジェクト2017、ミュンスター中央駅横の通路で、1999年にミュンスターで亡くなったアメリカの音楽家・詩人ムーンドッグによる作曲と詩に基づくサウンド・インスタレーションを展開した。

「わからない」という共通体験と、出会い方のコーディネーション

高橋:異質なものが入ってきた時に、免疫力が発揮されるので、排除されちゃう場合もあると思うんですよ。場合によっては。異物だから。でもそれが取り込まれていく可能性もあって、ワクチンじゃないけれど、入っちゃうという場合もあって。山口情報芸術センター[註9]は、最初は建てることに反対の方が多かったんですよね。反対派の市長になったんだよね。だけれど、建って、結局今は愛される施設になっていて、元々はものすごく先端的なメディアアートを、難解だと思うんですけれど、そういうものを色々やっていたんだけれど、そういうものもいまだにやりつつも、地域のプログラムなどもやっていて、それで子供達が、普通だったら出会うことのない作品だと思うんですけれど、そういう作品に出会ったりして、そのまま10年、20年経っているわけですよね。だから小学生とか、だいぶ大きくなっていて、だからアートの側も多少ソフトな部分を持たないとやっぱり折れちゃうというか、もたない。妥協というとあれなんですけれど、折り合いをつけるという、ネゴシエーション可能な部分ってアートにはあるから、その部分って大事だと思うんですけれど。それをここまで譲っちゃうと、それは違うものになっちゃうなという線もまたあるとは思うんですけれど。でも、お互いネゴシエーションできる部分はあると思っています。
吉田:そういう意味では、作品自体は何も寄っていく必要はないと思うんですけれど、見る人との橋渡しをする役割が重要ですよね。山口情報芸術センターはエデュケーション・チームがとても充実しているので、そういう意味では、つなぐ人、広げていく人がいないまま、ただアートをポンっと入れても、多分摩擦が起きてしまうということはあると思うんです。好き勝手やっているという風になっちゃうというか、多分ちょっとヒントがあるだけで、だいぶ見え方が変わるのが現代美術だと思うので。コンテクストを読めないまま、ただ作品だけを見てもわからないというか、その背景や文脈をきちんとわかりやすい言葉で、ちゃんとつなげる人がいないと、混ざっていかない。排除されたり、免疫が優ってしまって、馴染まない。エマルジョンする人が要る。
高橋:そうそう、界面活性剤みたいな人は必要だと思うのと、難解なものは難解なもので、皆わからないという共通体験がある。皆、誰にもわからないという。「わからないよね、わからないよね」というところで、実は共通体験にもなったりするのかもしれないと、思ったりします。意味不明の物体Xがあったら、目の前に出現したら、皆「あれ何だろうね」という議論ができるじゃないですか。そういう機能がアートにはあるかもしれないですね。
吉田:今、何でもわかりやすいですからね。
高橋:コミュニケーションする必要がなくなっていますからね。それを、あえてXができた時には、「お互い話さないとわからないね、これは」という。
吉田:わからない安心感。「あなたもわからない? 私もわからない」というような。自分だけわからないって怖いじゃないですか。
松田:わからないってはっきり言えるといいですね。
吉田:わからなくてもいいと言ってくれる人がいるのといないのとでは違いますよね。結構、わからないことは否定していく人が多いから。
松田:わからないから、ちょっと私にはってなりがちですよね。
吉田:わからないものは見ないとか。そういう風な思考回路になりがちだと思うので。
高橋:まだそう、わからないものに対する耐性がつくというか、そういうのは地域の文化を向上させると思いますけれど。
吉田:受け止められるキャパシティですね。
高橋:キャパシティが上がるというのは、やはり地域は同質化しがちなので、そういうような救い方はあるんじゃないですか。救うというのか、わからないけれどね。
吉田:トレーニングになる。でも美術館に行って、わからないものをわざわざ見に行く人は圧倒的に少ないですよね。やはり相当、わからないものをわざわざ見に行きたいという動機がまずないと。チケットをもらったり、色々な動機があるのかもしれないですけれど。美術館に行くことは、やはりそういう一歩を踏み出すことで、自分で行動しないと入っていけない場所なので、そういう意味では、商店街など、自分の暮らしている地域で行うことは、もう少しその、意識していない人に対してどう見えてしまうのかということでもあり、美術館に行かない人に向けての広がりということを考えると、地域で行うことに大いに意味はあると思います。美術との出会い方が増えるというような、そういう意味があると思います。
 でも、現場で実践する立場として、そういう場所で、ちょっとグダグダとなったものが置いてあったりすることってあるじゃないですか。未完成のままであったり、壊れたままであったり。そういう作品が置いてあると、美術ってこんなものかと思われてしまう危険性もあるので、そういう意味では、わからないとか、こんなものかと思われないような、主催者なりの工夫が大切で、初めて美術に出会う機会をつくっているという意識があるかないかで、全然違うと思うんですね。子供やおじいちゃんでも美術館に行ったことがないという人もいるかもしれないし、そういう人にも見せる意識みたいなものは、アーティストだけではなく、提供する人が考えるべきものですよね。それがうまくいかないまま行われていることがよくあると、そんなものかと、やっても仕方がないというようになってしまう。それはよくないと思うので、意識したいなとは思っています。
高橋:出会わせ方のコーディネーションのようなものは非常に重要だと思いますね。どういう風に出会わせるか。未知のものって、色々な提示の仕方があるじゃないですか。いきなりどんと出会い頭に出会わせるか、それとも徐々に浸して出会わせるか、そういうのってキュレーションだと思うんですよね。会場一つとってもね。いきなり最初にポンっとくるか。だんだん、だんだん、この人の背景はですねって、こう構成するかというようなことってあるじゃない。展覧会にしてもプロジェクトにしても。
 テクノロジーを扱うメディアアートは、そういう意味では、現代美術より親しみやすいところもあるのかもしれない。チームラボなどはそうだと思うんですけれど。それは、同時代的に皆が接している携帯やパソコン、インターネットなどを主題としているから、背景知識が不要ということで受け入れやすいのかもしれないですね。
松田:確かに。メディアアートではないかもしれないけれど、QRコードを読み取って、そこから映像に入って行く作品など、ついやってみたくなります。
高橋:それは同時代の人がもつ、ある興味の共有の仕方なので。先ほどの毛糸でおばあちゃんが反応するのと同じで、皆スマホを持っている世代は、入りやすくなりますよね。導入として、素材として安心するというか。そういうのはメディアアートの特徴としてあるのかもしれません。同時代の方が、むしろ地域の差はそれほどなくて、時代の差の方があって、多分、西島さんの作品は今体験するのと、当時体験するのとでは違った体験になるので、むしろその差の方が大きかったりする。地域より。

2-2.地方とアートと経済

地方のアートと経済という現実的な話も、「アートはまちをすくわない?」のテーマに大きく関わっている。

経済と文化資本

西島:最近は、富山県に住んでいて、地元をテーマにした作品に取り組んでいますが、作家として活動していると、キュレーションやキュレーターの存在は、やはり大きいはずなんですが、それを行う人が配置されていない。そのため、全部自分で進めなくてはいけないという事が多々あります。やはり、そういうところに地方格差が出てきているのかなと感じます。逆に、この地方感が今はテーマとしておもしろく、「地方ってなんだろう」という事を考えながらつくっています。
吉田:先程どの地域にも美術館があってという話をしました。どこの地域にもアーティストはいると思うんですけれど、そういった時に、大学や美術館はどう機能してくるんでしょうか? 東京は別として。地域でも美術教育のある大学があるとないとで全然違うと思いますが。
西島:難しいですね。こうやったからこうだという結論では言えないので。こうしようかなあという事しか言えないです。
吉田:富山の場合は? 大学にも美術の専攻があるというのは強いですよね。
松田:確かに総合大学に芸術系の学部があるのは特別だと思います。
吉田:美術館もあって。
西島:そういうことも含めて現実弱いなあと思っています。
吉田:美術館と大学があっても?
西島:はい。それはやはり経済が大きく絡んでくる。資金をどう配分するかなど、ちょっと政治的な話になってしまいますが。よく最初になくす部署がアートだと言われましたけれど、そういう考え方がまだ地方には普通にあると感じています。
吉田:アーティストは、どこにいても作品は作れますか?
西島:人によるんじゃないですか? アーティストになるための100カ条を読むと、心折れちゃいけないと書いてあったので、よし、折れないようにしようと言って、戻します。でもやはり、条件がかなり悪くなってくると、やっていても本当に辛くなると思います。若いときは、はねのけるのは簡単ですけれど、歳をとってくると、現実もたくさん見えてくるので。今、現実的な話ばかりしていますけれど。
高橋:現実的な話、学芸員の立場が低いので、もうちょっと別の才覚もある人は、別の言い方をしてくると思う。学芸員とは言わないと思う。だから、地域おこしとかの文脈で言ってくるかもしれないし、コミュニティデザインと言ってくるかもしれないけれど。美術ということじゃなくて、こうお金をとってくる人というようになってくるんじゃないかな。そうなると。
西島:そうですね。
高橋:なんだろうな。なんて言ったらいいかな。まあ、なんというか、よく学芸員の募集要項が出ていますけれど、給料が低いですよね、非常に。
吉田:大学院も出ていて、英語も話せて。
高橋:そんな便利な人が、この給料で集まれという。それじゃあ絶対人材流出しちゃうじゃないですか。
吉田:外資系企業に勤めたら給料は何倍ですからね。
高橋:そうそう、そういう文化資本の脆弱さは感じますね。
松田:そういう文化資本の弱さという問題は、どうやって解消していけますかね。
高橋:どうなんでしょうね。そこから話し出したら止まらないですよ。今、15分くらいオーバーしていますから。僕自身は、アートという枠組みを外しちゃった方がやりやすいのかな、とは思いますけれどね。
西島:僕は、もっとアートと言っていいんじゃないかと思います。結局、経済効果を意識し始めると、経済的なことに対して玄人じゃないため、うまくいかなくなると思うので。
高橋:いや、もうちょっと何か別の、卑近な話、もうちょっと別のお金の回し方というのがあるんじゃないかなと、若干思っていて、自分でも少しずつは実践しているという話ですね。要するに、助成金とか、税金とかで、美術というものを維持していくのは、やはり非常に厳しいんじゃないかなと思うんですよ。 

アートを社会に還元する仕組み

吉田:私は、アーティストやアートに関わる人たちの職能が、とてもが高いと思っています。社会的な枠組みにうまくはまっていかないだけで、色々なことができると。今、まちづくりの事務所で働いているので、色々な面で、クリエイティブな人たちのアイディアに助けられていることが多くあります。それは、経済に変えていけることじゃないかなと。そういう社会になるといいなと思っています。そういう面では、自分がもう少しできることがあるなという考えのもと、自分で実践しながら試しています。模索中ですけれど。 まちづくりは、コンサルタントなど、そういう人たちが調査して、何かまとめて、アイディアを少し出して、お金をすごく持っていく。まあ広告代理店も同じだと思いますけれど。でもそこに、アーティストの作品をつくる部分と、そういうアイディアをお金に変えていく部分と、両輪で走らせる人たちがどんどん出てきたらいいのにと思っています。
 社会の枠組みの中に、もう少しアーティストのアイディアを、作品とは別の形で経済に変えることができたら、それは多分、東京や都心だけじゃなく、外にいればいるほど必要になってくる。そういうアイディアソースをちゃんと社会的にお金に変えて、生活して、作品をつくる時間も得て、といううまい生活サイクルができれば、きっと、とてもよい社会になる。建築家やデザイナーは、クリエイションをちゃんと資金に変えていける。デザイナーや建築家は、一応「10パーセントが設計費です」とか、「チラシ1枚作ったらこの値段です」というように価格表のようなものがちゃんとつくれているけれど、アーティストももっとそういうことにアイディアを出して、公共事業の中でアーティストが一人雇われるとか、アイディアを出した分に対価が払われるというようなことが、できるようになっていったらいいのにと思っています。そういう意味では、作品だけじゃなくて、アーティストのアイディアや生き方みたいなところも、もう少し社会に還元できる仕組みがあるといいなと思っています。
高橋:エコシステムがね、もうちょっと色々あるといいなと思いますよ。作品を売って生活できる人というのはごくごく一部だから。それは非常に限られていると。そうすると、教育機関に所属するという方法が昔からあって。それ以外の方法で行くと、広告等の仕事をやるということですよね。広告エンターテインメントの仕事を受けつつ、これは作品、これは作品じゃないとやって行く方法があるんですけれども。まあ、ざっとそのモデルじゃないですか。だいたいのところね、3つのモデルのうちのどれかなんだけれどね。まだ何か他にもあるんじゃないかなという気はしているし。それぞれが、なんていうかな。作品を売っている人が一番ピュアで、エンタメ作っている人が一番ピュアじゃないというのも違うかなあという気がするのか、しないのか。その辺はわからないな。作品だけが売れたら一番いいとは思うんですけれど、現実問題それは不可能なので。
吉田:マテリアルが違いますしね。絵だったら売りやすいとか、インスタレーションは売りにくいとか。そういう作品の良し悪しではなくて。
高橋:やっぱり現場感覚としては、もっとパイが広がる方が重要かなという気がします。ピュアな芸術家が何人かいるということも大事だけれど、裾野が広いことの方が重要かなという気はしますけれどね、クリエイティブ産業のような。
吉田:アーティストの持っている、見えていないものを視覚化する力や、ちょっと違う視点でものを見る力など。やはり行政の会議に一人アーティストが参加するなど、そういうポジションがつくれていったらいいのにと、まちづくりの事務所に入ってより一層思うようになりました。コンサルタントの人に大きな金額を払えるなら、アーティストを一人入れて会議した方がよほどおもしろいんじゃないかなど。橋をつくるなどの公共事業の場合も、今までは建築家が参加していますけれど、アーティストが入ってもいいんじゃないかというように。
高橋:そうそうそう、そういうところにまだまだ可能性があるんじゃないかという気はしますよね。
吉田:そういう意味では、アートの予算がどんどん狭まって辛い、苦しいというだけじゃなくて、何かアイディアを持っている人の、それを還元する人の道筋をうまくつくれたら、それは東京だからではなく、色々なところで、むしろ外にいる方が、仕事が多そうだなと私は思うんですけれど。
高橋:ただ、その上で作者としては最終的に、作品を、誰にどういう風に享受してほしいかというところが、大事なんだとは思います。キュレーター側からすると産業があった方がいいなと思うけれど、作家はそれとは関係なしに、作品をどう見てほしいかということなので。どういう接点を持つか、どういうエコシステムに入るかというその人の選択なので。
吉田:皆が皆、できるわけじゃない。
西島:スーパーピュアですよ。
高橋:大学がだから大きな役割を果たしていると思いますよ。 

美術=交換し難いものの交換 

西島:子供だったので、作品は展覧会を重ねれば、それだけで生きていけると最初は思っていました。それが、展覧会だけで生きていけるようなことができないと、30代半ばでわかりました。でもだからと言って作品を売るつもりもないんですけれど。
吉田:いや、多分子供じゃなくても皆、美術館で展覧会をする人が、それだけで食べていけないと思っていないと思います。
西島:そうですよね。
吉田:美術館で展覧会をするなら大先生だと、ほとんどの人がそう思うと思います。
高橋:最終的にはでも、美術って交換し難いものの交換だから、お金に極めてなりづらいものだと本当は思うんですよね。希少価値があるからあれですけれど。
吉田:お金にならないからおもしろい部分もあるじゃないですか。それに左右されないから。効率とかではなく。
西島:だからやっているんですけれどね。
吉田:そうそう、クリエイション産業は価格表があるのに、アートはない。なくていいんですけれど。作品の価格表じゃなくて、アイディアというのを、売れないかなと思います。
西島:そうですよね。そういう仕組みがあるといいですね。
吉田:1アイディアいくらとか。
西島:今後はそういう事が常識になればいいですよね。大学で教育をしていても、作家活動を続けていこうという時の礎になる、生きていけるよと言えるものがないので。今のところ、僕は自己否定していますけれど、大学には美術教育はいらないと思うことが多いです。矛盾しているところにいて、だからいるんですけれどね。 今回のこの、「アートはまちをすくわない?」という言葉も、皆に問題意識を与えられればいいなというのが本当に最初のきっかけでした。何か投げかけられたということかもしれないと思っているので、続けばいいなと思います。
松田:そうですね、続けていきたいですね。  

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[註7]アルスエレクトロニカ・フェスティバルは、1979年からオーストリアのリンツで、最先端のアート、テクノロジー、社会をテーマに開催されているフェスティバルである。「世界中から、専門家が集い、リンツの様々な場所で催される展覧会、パフォーマンス・イベント、国際会議を通して、議論を深め、新しい繋がりを生み出して」いる。アルスアレクトロニカの公式サイトより(2018年6月3日閲覧)。

[註8]ミュンスター彫刻プロジェクトは、ドイツの都市ミュンスターで10年に一度開催される彫刻展。「73年、ミュンスター市にアメリカ人彫刻家G・リッキーの彫刻が寄贈されたことを発端としてさまざまな議論が紛糾し、現代芸術と公共性の関係を問うため、20世紀彫刻を紹介する展覧会をヴェストファーレン州立美術館キュレーターのK・バスマンが企画した。77年の第1回展はこの展覧会のプロジェクトの一環として企画されたものであり、やがてミュンスターの市街地や公園など街全体を活用した大規模な屋外彫刻展へと発展した」。アートスケープの「現代美術用用語辞典ver.2.0」より(http://artscape.jp/artword/index.php/ ミュンスター彫刻プロジェクト 2018年6月3日閲覧)。また、同プロジェクトの過去のアーカイヴは以下の公式サイトから確認できる。
https://www.skulptur-projekte-archiv.de/en-us/

[註9]山口情報芸術センター(Yamaguchi Center for Arts and Media)通称「YCAM(ワイカム)」は、山口県山口市に2003年にオープンしたアートセンターである。「メディア・テクノロジーを用いた新しい表現の探求を軸に活動しており、展覧会や公演、映画上映、子ども向けのワークショップなど、多彩なイベントを開催」している。公式サイトより(http://www.ycam.jp 2018年6月1日閲覧)。

[関連リンク]
【研究報告】「アートはまちをすくわない?」座談会―10年後のアートを見つめて(1)
【研究報告】「アートはまちをすくわない?」座談会―10年後のアートを見つめて(3)

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