2017.10.23
【卒業生の活躍】寺山 英里子 さん(造形建築科学コース3期生)
個性豊かで地域に貢献できる芸文生は、各地に活躍できる場を見出し、社会でその能力を発揮しています。
芸文OB・OGの皆さんの卒業後の様子を、受験生・在学生へのメッセージと共にご紹介します。
[卒業生]
寺山 英里子 さん
[専門領域]
造形建築科学コース3期生(平成23年度卒業)
(「造形建築科学コース」は、平成27年度より「建築デザインコース」にコース名称が変更になりました)
[勤務先]
光陽興産株式会社
[職種]
建築設計
「現在の仕事について」
私の主な業務内容は、建築設計の仕事です。家を建てるのに必要な確認申請を作成する業務であったり、お客様と打ち合わせしたり、その内容を図面におこしたり、3Dソフトでパースの作成をします。設計で必要な家を建てるまでの流れの業務はほぼ全てやっているため、一日ずっと同じ業務をするというよりは、敷地の調査から家のコーディネート、CAD設計、家づくりに必要な資料の作成などまで幅広くやっていますね。
会社選びの決め手は、何でもチャレンジできるという社風です。私自身、入社早々自社の不動産部の店舗設計を任されたことがあり、「建築の知識も不十分な中で大丈夫かな…」と不安も大きかったのですが、上司の方に相談しながら汗水流して取り組んだおかげで、なんとか形になりました。
街でよく見かけるような窓にたくさんの物件情報を貼る店舗ではなく、お客様から生活スタイルを聞いて、その人に合った物件を提案したいということで、『白いキャンバスに新しいものを描いていこう』という思いから、白い箱型の建物を作りました。『サニーライブグループ』というグループ会社の中の一つに光陽興産があるのですが、社員みんなのやる気がすごく、アイデアを集めてどんどん新しいことにチャレンジしているので、自分から動きたい人は活躍の幅が広がると思います。例えば、ますゴルフ場を作って、ゴルフをしたら汗を流したいのではないか、ということから陽だまりの湯(高岡の銭湯)を作って…という風に、関連させた事業になっています。地元に根付いたアットホームな会社だなと思いますね。
「地元を変えていきたい」
私の家庭は転勤族で、福井や富山県内を転々としており、色々な住まいに住むことが多かったので、建築に興味を持つようになったんです。また、祖父が大工で実家には木がたくさんあって、木の匂いや木に触れることが多く、建築が身近なものになっていました。京都など、各地の都市部は建築物でも素敵なものがたくさんあるように感じるのですが、富山県はパッとするようなものが発見できていなかったので、地元で勉強して地元を変えていきたいという気持ちがありました。
「芸術文化学部の学習や課外活動が今どう活きているか」
大学では、先輩の卒業制作を手伝っていたし、自分の卒業制作では後輩に手伝ってもらうことも多かったので、先輩後輩の関係はすごく良かったと思います。社会においても、設計がいて、現場の人がいて、お客様がいて、みんなで一つの家を作り上げるので、自分一人では出来ないことも多いなと感じますね。
学生の皆さんには、色々な人との関わりや経験を大切にして欲しいです。多様なコースが同じキャンパス内にあるので、自分の専門分野以外の人とも話をしたり、コラボしたりする機会が溢れています。これが大学の醍醐味だと思います。また、芸文には木材や金属を加工する機械や、全学生が使えるPC室もあり、設備が充実しているので興味があればそれを使うための基礎授業はやっておいたほうがいいし、楽しいと思いますよ。私は家具製作の授業も受けていたのですが、機械操作の知識もついたのでやってよかったなと思いますね。PC室でも、グラフィックや映像を作るソフトに気軽に挑戦できるし。会社でもグラフィック用ソフトは結構使っていて、学生時代の建築以外の経験も今に繋がっているのかなと思います。
「受験生・在学生へのメッセージ」
建築士をしていて良かったなと思うのは、色々な人の生活の夢や希望を叶えてあげられることです。衣食住の中で、衣・食はみんな叶えやすいじゃないですか。でも住ってなるとお金もかかるし、やりたいと思っていてもなかなかできないので、それを一緒になって叶えられるのが建築士の醍醐味かなと思いますね。夢や希望を叶えるという意味で、私自身も新築した我が家にバーカウンターを作ったり、夜は夫とお酒を飲みながら会話をする、くつろぎの時間が増えて、生活を楽しむという夢を叶えることができました。
今、建築業界も高齢化が進んでいて、建築士も年配の方が多くて若い人が少ないので、技術者不足になっているんです。昔に比べると資格を取るのが本当に難しくて、一級建築士は特に少ないです。それに対して、増える空き家をどうしていくかなど、建築分野はこれからの課題が多いと思いますね。自分のやりたいことが明確にあるのならば、生まれ育ったこの土地でもできることがあると思うので、富山の土地を大切にし、富山の街を変えていきたいです。