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2018.12.20

【名物授業】授業科目「鑑賞のための造形演習」/「塑造」(第9・10回)の授業を紹介します。

授業科目「鑑賞のための造形演習

「塑造」(第9・10回)
平成30年度後期「鑑賞のための造形演習」(平成29年度以前入学生対象科目:芸術文化キュレーションコースの学生は必修)の「塑造」(第9・10回)の授業を紹介します。

「鑑賞のための造形演習」は、全員が制作した作品を鑑賞し、分析した内容を文章で毎回ミニレポートにまとめる授業です。この授業では学生全員が「制作・鑑賞・評価」を体験します。この授業の作品は鑑賞・分析・評価のための実験試料になります。第9・10回授業では、手本なしで、粘土で「穏やかな表情」を制作し全員の作品を鑑賞しました。制作と鑑賞を体験し、これ以降の彫刻への鑑賞眼が高まっていきます。

<第9・10回授業>の制作課題
第9回と10回の授業の2回で制作する課題は、粘土塑造で人の顔の「表情をつくる」です。制作する顔のテーマは『穏やかな表情』で、内面の穏やかさを感じる表情をつくる。この制作は骨格や筋肉を重視した彫刻をつくることではないので、そういった人体彫刻の決まりよりも、観る人が穏やかさを感じる顔であることを制作の目的とします。本やネット検索で顔の映像を参考に見ることは禁止です。この塑造は「模刻」ではないので写真を見て真似ることではありません。自分のなかの穏やかな表情のイメージを粘土の立体で表現してください。

・粘土での立体表現方法を各自が研究する。凹凸の曲面と稜線・谷線について意識する。
・やや下方向からの光による陰影を想定して表情を制作する(教室の照明を暗くして制作します)。

以下は 、「塑造」の作品制作風景です。

以下に、第9・10回授業のミニレポートに記述された一部を抜粋して紹介します。類似はまとめ、記述の一部を担当教員が改変しました。(なるべく多くの異なる履修学生の考え・感性を掲載し、この科目を履修している全学生の今後の研究資料となるよう、今後もSNSを利用してミニレポートの情報共有をいたします)

「ミニレポート:課題」
<穏やかな表情を粘土でつくるというこの授業は、あなたにとってどういうものだったのか?>
「穏やかな表情は無に近い表情だと思った。激しくない穏やかな表情が好きなのでこの課題は楽しく制作できた。多くの作品が目を閉じた“穏やか”で、口角が上がっていた。鑑賞で他の作品に票を入れることができなかった。“穏やかの表情”が好きすぎて、心が狭くなった自分に気づけた課題だった」、「制作目標があるためつくりやすかった。イメージした仏像や地蔵の顔を思い出しながら制作した。穏やかさを感じる点は何か、どのようにすれば伝わるかを考えた。粘土の表現がかなり幅広いと感じた」、「穏やかな表情とはどういったものかを考えながら、顔の凹凸の高さや場所を動かしながら創意工夫をするように努め、課題と向き合えた。顔の部分が少し違うだけで印象が異なったものになった。穏やかな表情は人によって受け取り方が違うことを実感した」、「11月初めに奈良の法隆寺などで多くの仏像を見た。金剛力士像の迫力が作者によって異なることがわかったが、仏さまのお顔が皆同じように見えた。今回実際に制作し、笑っているわけではない穏やかな表情がこんなにもわからないものだとは思わなかった。どうしたら自然な表情がつくれるのか不明だったが、でも奈良の仏様は自然な表情で、お顔をつくるのがいかに難しいのかわかった気がする」、「仏像は高校生の時から好きで見ていた。そのときは運慶や快慶の作品に夢中で、飛鳥や天平時代の仏像のような穏やかな顔にあまり魅力を感じなかった。今回の体験で穏やかな顔の難しさや、パーツ一つで印象が全く変わることに気づいた。当時、造形した人の技術の高さを実感した。また、穏やかな顔は近年あまり身近に見ないので新鮮だった」、「今回は、穏やかなという形容的な言葉を“顔=表情”で表現することと、下書きのない頭の中の設計図を塑造で三次元立体に起こすことであった。引くことも足すことも簡単な塑造は心的な余裕があり時間的にもゆとりがあった。作品を見て穏やかかどうかを確認し改める、を繰り返した。穏やかな表情を構成する要素、特にボリュームに気づくことができた」、「人の表情として作り始めたが、デスマスクのように見えてきてしまった。苦しみから逃れた後の表情に見えて、穏やかとは思えなくなった。そして思い描いたものは仏像である。半跏思惟像のイメージが強く浮かんだ。逃れるのではなく慈悲とか救いとかを与えてくれるもの、そういう表情をつくろうと思った。心が落ちついた」、「いろいろな発見があった。口角を上げ笑っているイメージがあったので、そのようにつくっていたが、目の開き具合、顔の丸さ、頬の丸さで、口が笑っていなくても穏やかな表情をつくることができるとわかった。人は毎日、人の顔をみるので、顔というものに敏感であることがわかった」、「今回はお手本がないので、穏やかな表情は何をしているときに、どのような気持ちのときに生まれるものかを考えて制作した。普段、平面で表現を考えがちであるが、今回は粘土作品のため、表情の凹凸にも意識しなければならず難しかったが、非常に新鮮で楽しむことができた」、「心を穏やかにしてつくろうとした。絵を描くとき、その人物の表情と自分の表情が同じになっているときがある。自分がつくりたい表情になっておけば、自然に粘土も自分のイメージ通りの穏やかな表情がつくれると考えた。つくるものに合わせて自分の心も合わせることも自分にとって気持ちいい作品をつくる一つの方法になるのではと今回の授業で考えた」、「仏像をみるとき、なぜもっとリアリティのある表情にしないのだろうと思っていた。今回、穏やかな表情で、凹凸のあるリアリティを意識した顔をつくっていたが、そのうち凹凸のない平らでなだらかな顔が一番、穏やかさを表現するのに向いているように感じていった。リアリティが大切なのではなく、いかに要素を減らし、足し合わせて目的の表現を果たすかが大事なのだとわかった」、「立体造形物をつくることが苦手だと思っていたので、気が進まなかった。始めてみるとだんだん楽しくなっていった。自分の手で形つくられていく顔が、愛おしくわが子のように思えたからだ。穏やかな表情をつくろうとするとき、人の母性が垣間見えるのかもしれない。苦手だと決めつけていたものが楽しいことへ変化したので、今回の授業に感謝する」、「ふと幼少期のことを思いだした。小さい子供は元気いっぱいで、うるさくて、常に動きまわって、というイメージが強いが、子供のときはまだ心に黒い部分を持っていないのではないか。無知なだけということもあるが、だからこそ純粋な気持ちを表情に出し表すと考えた。制作するうえで、学んできたことを全て取り除き、子供のときのようにつくることはあまりできないが、意識するようにはしたいと思った」、「穏やかな表情といえば仏像や聖母像を思い起こすが、自分にとっては像をつくるのと同時に自らの心の中を見つめ、対話するという時間であり、過去の仏師たちもそのようなプロセスを経ていたのだろうか」、「穏やかな表情を自分がどのように認識していたのかが初めてわかった。仏像を見たとき表情が無いものもあり、穏やかそうには見えなかった。口角が少し上がり、目がやさしそうに弧を描き、眉が垂れていたり、そういうものに穏やかさを感じていたのだと気づかされた」、「穏やかな表情をつくったつもりだったが、影の入り方によっては怒った顔にも見えてしまうため、鑑賞する角度やスタイルをイメージしながら、鑑賞する側の立場に立って顔の深さを調整することが必要だった。新たな発見があった分、興味深くなった課題だった」、「普段日常的に目にする顔をつくるということで、簡単かと思ったが難しかった。本物の顔に近づけると、なんだか穏やか以外の感情が入ってしまうような気がした」、「自分のつくった顔は“穏やかさとは真逆だ”と友人から言われた。そう言われると苦悶の表情に見えなくもない。たくさん白テープが貼られたのは、彫りの浅いプリミティブな表情が多かった。仏像も彫りの深い顔はあまり見ない。杏形の目と仰月形の口もとのいわゆるアルカイックスマイルだ。穏やかさと写実的造形は結びつきにくいのだろう」、「今回の授業は創作意欲や意匠が無くなりフラットな気持ちになる授業だった。粘土・塑造は触れたことがなく、触覚的なおもしろさは感じたが、穏やかな表情をつくることには感情の起伏が起こらず穏やかな気持ちでつくることができた。自分の個性や人の鑑賞を自然と意識しない制作の時間になった」、「つくっているうちに熱が入ってしまうと、その時点でつくっていた顔が厳めしくなった。自分の心を写すように顔をつくっていたように思う。何にもとらわれない自由で開放的な表情を表現することは、加減が難しく、つくっているうちに違う表情になっていたりと、新しい発見があった。つくる側の気持ちがダイレクトに写ってしまう」、「塑造と聞いて苦手な立体制作が来たぞと沈んだ気持ちになった。曲線でまろやかに表現された表情が穏やかな表情になるのではと考えた。立体では凹凸が角度を変えると思ってもいなかった様相をつくるので、思う通りに制作ができない難しいものだった」、「無心で穏やかな表情をつくっていると、自分の感情も穏やかになるようだった。思い返すと、今でも鑑賞した作品の中の表情が、そのまま自分の感情になったりしていたので、作品を通して感情を動かすことができるということを感じた」、「長時間、穏やかな表情とは何かについて考え続けたところ、当初の予定とは全く異なる作品ができあがった。これは、瞑想によって手に入れた表情である。今回の制作の7~8割の作業は瞑想であり、終了時には、他人の評価もできも全く気にならないほど心が穏やかになっていた」、「顔のつくりを自分がどれだけ把握しているのか理解できた。他の人の作品は人の顔に囚われない自由な発想があり、自分が顔に固執していたと気づかされた。自分の作品と他の人の作品を比べることができておもしろかった」、「穏やかな表情をつくるにあたって、イメージしたのは、早朝にまどろむ光景だ。粘土で立体的にその光景をどう表すのかを考える体験になった。存在を強く示すのではなく、静かに浮き立つように表すほうが、よりイメージに沿う」、「今までに私が見てきた穏やかな表情を思い浮かべて、最も穏やかだと思うものがつくれた。他の人の作品をみると、顔の形から鼻の高さなど様々であったが、目を閉じて無表情であったり、少し微笑んでいるものが多かった。微笑みの具合だけでも感じ方が全く異なった」、「人の表情を描くとき、自分が同じ表情をしていることがある。粘土も同様に表情筋が緩くなっていた感覚があった。彫りの深さや粘土の厚さが1㎜違うだけでも違う表情ができるような細かい作業だった。人の表情は非常に豊かで、穏やかな表情がその中で一番心地良いと感じた」、「穏やかという感情を自分がどう捉えているか確認する作業。他の人がどう捉えているのかを知る作業。自分のなかでは、心に平静がある状態、善も悪も正も負も喜怒哀楽もない状態であると捉えているのがわかった。“穏やか”がどんな場面と結びついているのか知ること。それは自分の感情、価値観、人格を知る作業だったと思う」、「穏やかな表情は、風呂の湯船につかって気持ちよさそうな人の顔だったので、それを意識して制作した。穏やかな表情をつくるとなると予想以上に難しかった。少しのへこみで微妙に表情が変わるので発見が多い制作だった」、「立体は久しぶりで難しかった。正面から見て思い通りでも、横や下から見ると形がくずれていたりするのがもどかしかった。形をつくるとき、どうしても骨を意識してしまい、鑑賞してみると抽象的な作品もとてもよくみえて新鮮だった」、「穏やかな表情は眠っているときこそでると思い、眠った女性を制作した。影のつき方が激しくなると、一気に穏やかな表情が無くなるので難しい。他の人の作品は仏像や地蔵をモチーフにしていて穏やかな表情がでていた」、「初回は素直に穏やかそうにみえる表情をつくった。2回目の今日、前回つくったものを見ると、全然穏やかに見えなくて、鼻以外の要素をなくしてしまった。そのほうがよっぽど穏やかに見える。粘土を日ごろから触らない自分が、まじめにつくるより、想像力の補完のほうが優秀だった」、「参考画像を見ることが禁止されていたので、第9回のときはとても困った。いざつくるとなると、どうつくればいいのかさっぱり分からず、いかに人の表情を注視していなかったのかを自覚した。第10回の演習に向けて、人の表情をよく観察するようになっていたと振り返って感じる」、「他の人の作品は若者(10代~40代くらいの人)が少ない。老人や赤ん坊に穏やかなイメージが先入観として有るように思う。写実的なものから抽象的なものまで様々な作品があったが、人間の表情が多かった」、「穏やかな表情と聞いて思い浮かんだのは、優しい近所のおじいちゃんだった。お年寄りの多い地域に住んでいたため、いつも優しいおじいちゃんやおばあちゃんの顔が大好きだった。小学校から帰ってきた自分に対し「おかえり」と笑いかける近所のおじいちゃんの姿を表現した」、「“穏やか”はよく使用される言葉であるものの、いざ形にするとなると悩ましい制作であった。つくる対象と同様に穏やかな状態の制作になっていた。時間など少しは気にしたが、穏やかさの情景というか、何か思い浮かべながらの制作となったため、このように感じたと思う」、「何が穏やかであるのかを考える機会を与えられた。微笑んでいれば穏やかかというと違うように感じた。鑑賞すると微笑むもの、無表情のものもあり、穏やかというワード1つで、こんなにも多種多様な表情が生まれるのかと思った」、「粘土を思うような形に変えることができなかった。穏やかに感じた作品は、目鼻が立体的で人の顔の形をそのまま表現したものより、目鼻口の線を平準化し、デフォルメしたような作品だ。シンプルな作品に多くの票が入っていて、骨格など考慮しなくても良かったのかと思った」、「穏やかな表情と聞いて、イメージしたのは“女性”だった。気づいたことは、制作中に自分自身も穏やかな表情をしていることだった。普段よりも眉が下がり、心穏やかに作業していた。この授業は、自分にとって癒しになった。花嫁を表現したが、心穏やかに未来へ向く花嫁を自分に投影したと思う」、「穏やかのイメージはあるが、粘土に落とし込むことがなかなかできなかった。皆の作品を鑑賞すると、なるほどそういう風に表現すればいいのかと納得した。立体制作は嫌いではないので楽しい授業だった。自分のつくった作品とお別れするのがさみしい」、「穏やかな表情をつくるこの授業は、私にとって幸せな時間だった。自分が穏やかな心になるときはどんなときだろうと考え、それを基に制作した。気をつけたことは、口角の動きを正確に描いたことである。このことを考え制作した幸せな時間だった」

[受講生]
2~4年生対象
※平成29年度以前入学生対象

[必修科目となるコース]
芸術文化キュレーションコース(文化マネジメントコース)
※他のコースは選択科目

[担当]
三船 温尚(芸術文化学部 教授)

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